認知症いろいろ・きっかけもいろいろ
18年前に訪問看護師をやっていました。その時には認知症のことは何となく気になるくらいで、今思えばあまり認知症の症状の重い方はいなかったのかもしれません。いや待てよ・・・いました、いました!大変だったことを思い出しました・・・認知症いろいろの記事を書き始めて訪問看護での経験を思い出しました、毎日毎日自転車でいろんなお家を訪問していました。なかなかケアに入れない困難事例もあるきっかけでケアに入れる事があります。
公団で一人暮らしの元デパードガール
ケアマネさんから依頼があって訪問することになった高齢者女性の方。情報が少なく、元デパートガールということと、部屋になかなか入れてくれないということだけでした。
最初は安否確認だけでもいいから訪問して欲しい、という依頼でした。まずは、訪問に慣れてもらうのが一番と考えて、インターホンを鳴らす、声をかける、ドアは鍵がかかっていて開けてくれないので少し開いている小窓から声をかけ姿を確認して帰っていました。部屋の中は暗く、白髪の髪を一つに縛った小柄な女性としかわかりませんでした。
玄関に入れるまで半年
ある日、鍵が開いておりドアを開けました。「こんにちは」と声をかけると「玄関までよ」と言われました。少し話しをしてくれるようになりましたが、まだまだ距離はありました。なかなか頑なで、部屋までは入れてくださいませんでした。「おじゃまします」と調子に乗って言ったら、激怒されたため丁寧にあやまって帰ったこともありました。でも1歩前進です。
台所にそびえ立つ焼いた食パンタワー
玄関に入ると直ぐに台所のテーブルに山住になった何かが見える。よくよく見てみると食パンでした。しかも焼いてあります。20枚~30枚はあって、なぜ積み上げたのだろう?食べているのだろうか?「食パン焼きましたか?朝食べたのですか?」と聞いてみたところ「食べたわよ!」と少し怒ったような感じで返事が返ってきました。
その日、ステーションに帰り、ケアマネさんには報告しました。はやく中に入って様子がみたい、と焦っていました。
帯状疱疹がきっかけでケア突入
そんな矢先にケアマネさんから連絡がきまし。「部屋に入れます。帯状疱疹になられて、痛みも皮膚症状も酷く、何とか病院に連れていきました。訪問看護で処置をお願いします」とのこと。訪問すると、小さい身体に広範囲で発疹が出ており、痛みが強かった。
「白衣の天使ね、待っていました」と言われ驚きましたが、藁にもすがる思いだったと思います。少しずつではありますが「きれいに身体を洗ってから軟膏を塗らせて頂きたいのでお風呂に入りませんか?」から入浴もできるようになり、昔話に花が咲き関係性もよくなってきました。
食パンタワーは片付けることができたのですが、ありとあらゆる引き出しにも焼いた食パンが入っていました。カビの生えたお弁当も見つかりました。掃除にも入らせてもらえるようになり、訪問介護士さんも入れるようになりました。
やりすぎはきっかけも崩す
訪問介護が入り、帯状疱疹も治って、訪問看護も必要がなくなってきたかなと思われる頃でした。ある日訪問すると、先に訪問に入っていたヘルパーさんが血相を変えて外に飛び出してきました。「どうしました?」と聞くと「部屋を掃除していたら急に怒り出して後ろを振り向いたら、包丁もって立ってて」と。
小窓から覗くと、確かに包丁もって、立っていました。ケアマネさん(男性)に連絡をして、直ぐに駆けつけてもらい、本人と話をして、刃物は部屋から全て撤去されました。本人に話を聞くと、掃除はやめてと言ってもやめてくれなくて嫌だったと・・・。
その後は何とか事を治めた様子でしたが、当面は訪問看護だけとなりました。ヘルパーさんは本当に怖い思いをされたと思います。でもその時両者にコミュニケーションはとれていたのでしょうか?掃除機をかけていて、本人の声が聞こえなかったのかもしれません。
まとめ
帯状疱疹になられたことがきっかけでケアの介入ができました。確かに、きっかけがないと心の扉を開けない方もいらっしゃると思います。でも、心の扉が開いても慎重に関係性を作っていくことが大切で、とても大変かと思います。それはご本人も同じだと思います。きっかけは大事に、ご本人のペースに合わせて生活を支えていければいいですね。
日本認知症研究会副代表。看護学校卒業後、内科外来、透析室勤務を経て訪問看護ステーションにて3年間在宅医療に関わり、その後、介護付き有料老人ホームの看護職員として長年務められる。多くの認知症の入居者に携わるうちに、認知症について興味を持ち看護師として貢献できる認知症ケアについて学ばれる。周囲の仲間からは「大将」の愛称で親しまれ、医師主体の研究会の代表を務められた他、中国、イタリアで開催された学会でのご講演など多方面で活躍されている。