川口メディカルクリニック
川口光彦院長インタビュー
1982年に兵庫医科大学を卒業した川口先生は、同年岡山大学第一内科に入局した。医師国家試験合格後は医局人事により福山市市民病院を経て広島逓信病院の内科に勤務。その後岡山大学第一内科に帰局し、博士号取得を目指す。1989年より津山中央病院内科に赴任し、博士号取得後の1995年、津山中央病院消化器内科肝臓部門部長に就任した。1996年岡山済生会総合病院内科に赴任。内科医長から内科主任医長となり、同病院の肝臓病センター創設に尽力した。
2005年、父親が経営していた川口内科の副院長に就任する。翌年、医療法人川口内科医院院長・理事長。2010年、医療法人川口内科理事長・川口メディカルクリニック院長となって今日に至る。(取材日2024年9月19日)
私たちを慕ってくれる人々が幸せになってもらうために
Q.医師を志した動機をお聞かせください。
父親が開業医だったので、志すというより自然とそうなった感じですね。二世だから、改めて志を立てた訳ではなく、継承したと言ったほうがいいと思います。小さい頃は、跡を継ぐより吉本新喜劇に入りたいと思っていました。「みんなを笑わせたい、幸せをあげたい」という気持ちが強かったのです。その気持ちは、医者になっても変わりません。ただ、医者は病気を治さなければなりませんから、ある程度専門的な勉強が必要になります。治しながら「笑わせる、幸せにする」のが開業医の役目だと思っています。私が幼い頃の父親は、岡山大学の医学部にいました。私が生まれたのは神戸で、その後アメリカへ行きました。医局人事で父親がデトロイトへ留学したので、少し遅れて母親と私もついて行ったのです。6歳の頃、岡山へ帰ってきて幼稚園に半年くらい行き、小学校に入学しました。そこから、岡山県人としての私の人生が始まりました。
Q.妹さんが大きな事故で亡くなられたそうですね。
はい。1985年8月12日、当時東京女子医大の2年生だった妹が「日航ジャンボ機墜落事故」で亡くなりました。妹は、お盆の帰省ラッシュで新幹線が満員だったため、たまたまキャンセルが出た日本航空123便に乗って羽田空港から伊丹空港へ向かったのです。機体に事故が起こって群馬県の御巣鷹山に墜落し、乗客乗員524名のうち520名が亡くなるという単独機としては世界最多の死亡者を出した航空事故です。そのとき、私は医者になって3年目くらいで、広島逓信病院の内科に勤務していました。もしも妹が存命していたら、父の経営する川口内科の後継者は妹だったかもしれません。私が兵庫医科大学に入ったのは、西宮市武庫川町にある兵庫医大が甲子園球場に近く、阪神タイガースの試合を見に行きやすいという理由でした。阪神ファンだった私は、兵庫医大しか受験していません。野球、テニス、カラオケ、アウトドアと多彩な趣味に生きていた私は、妹の死が大きな転換点となって開業へ導かれていったのです。
Q.開業に到った経緯をお聞かせください。
私は、兵庫医科大学の泌尿器科へ入局すると決めていました。ところが父親が、自分の出た岡山大学第一内科へ入局してほしがったのです。結局、強く薦められて父親の意向に従いました。第一内科は岡山大学の一番大きな科で、肝臓を中心に糖尿や心臓など多くの病気を診ていました。私が熱心に取り組んだのは内視鏡です。それから血管造影。肝臓がんを治そうと一生懸命勉強しました。
転機が訪れたのは、津山中央病院の内科に赴任した1989年です。この年、C型肝炎が見つかりました。それまで非A、非B(A型でもB型でもない)と呼ばれてすごく流行っていた肝炎が、C型肝炎ウイルスによるものだとわかったのです。津山中央病院にもそのような患者さんがたくさんいらしたので、「誰が治療するんだ」という話になり、私に白羽の矢が立ちました。そこから肝臓を独学で勉強し、数年間かけて学会で発表するくらいの専門医になったのです。1996年に岡山済生会総合病院の内科に赴任し、9年近くいて肝臓病センターをつくるなど尽力しました。ところが父親が肺がんになり、「帰ってきてくれ」という話になったのです。
肝臓の専門医から万病を診る「かかりつけ医」へ
Q.開業なさってから、どのようなご苦労がありましたか?
最初は父親のいる医療法人川口内科の副院長になりました。開業と呼べるのは、今の場所に移転して私が理事長になった2006年です。開業医になると、生活習慣病を中心にあらゆる病気を診なければなりません。高血圧、糖尿病、高脂血症といろいろな患者さんがいますから、それぞれの診断学、治療学を身につける必要があります。それまで肝臓病一本できましたから、ほかの病気は全部勉強し直しです。日夜勉強する生活が始まりました。特に大変だったのは、高齢の患者さんが多かったことです。認知症という大きな壁にぶつかりました。基礎疾患が何であれ、認知症を理解しなければ高齢者と向き合うことはできません。ほかの疾患は教材がありますが、当時認知症の診断学、治療学は確立していなかったのです。
苦労して探していくうちに、河野和彦先生が書かれた認知症の本に出合いました。そこにフェルガードという米ぬか由来のサプリメントのことが書いてあったので、さっそくメーカーのグロービアさんへ電話しました。社長の村瀬さんと話し、岡山まで来ていただいて相談したことから認知症治療の扉が開かれたのです。村瀬さんの計らいで河野先生の岡山講演会が実現したこともあって、私は認知症治療の腕を上げることができました。
Q.認知症の治療で工夫していることは何ですか?
コウノメソッドの実践医になり、河野先生の教えを忠実に実践しています。教えられたとおりにやると、患者さんが目に見えて良くなるのです。抗認知症薬のアリセプトをやめると、興奮が消えてBPSD(認知症に伴う行動・心理症状)が軽快するという経験を幾度もしました。抗認知症薬には増量規定がありますが、私は適量処方に徹しています。幻覚を消すにはリバスタッチを使いますが、基本は少量投与です。用法用量としては、「最大18㎎まで使って維持する」とされていますが、少量のほうが効果があるので4.5㎎をよく使います。9㎎を貼付している患者さんも何人かいますが、だいぶ末期の方々です。漢方薬も使います。西洋医学で治せない人を「何とか治してあげたい」と願う引き出しの一つが漢方薬なのです。多くの病院では、使える治療薬がなくなると「好きなようにしてください」と投げ出しますが、私は患者さんを見放したくありません。「まだこんなものがありますよ」と提示するために、漢方やサプリメントの勉強をしています。
Q. サプリメントはどのようなものを使っていらっしゃいますか?
認知症の場合、基本はフェルガード100Mで、フェルガードLA、Mガードも使います。子どもの脳に関係するお悩みにはカーミン(フェルラ酸とα-GPCを主成分とする栄養補助食品)を使います。Mガードで耳鳴りが改善したケースもありました。そのほかエグノリジンS、プロルベイン、EPA・DHA、ロスマリン酸、マルチビタミンミネラルなど多彩なサプリメントを取り入れています。自費なのでコストの問題もあり、どなたにもお薦めできるわけではありませんが、もう一歩踏み込んだ改善策を求められる患者さんやご家族には役立っています。
認知症の予防と治療には、抗認知症薬の少量投与や漢方薬(抑肝散など)だけでなく、サプリメントが役に立ちます。余談ですが、1年ほど前から先進医療に認可されている超高流量水素の吸入療法を始め、著効例を経験しています。水素は子どもの脳にもいいことが臨床家的に実感しています。2024年7月から近赤外線療法を始め、会話のしやすさや新型コロナウイルス感染後の方にも効果がではじめました。
「治療~介護~入所」を一貫して受けられる体制をつくりたい
Q. このクリニックの特色を教えてください。
開院当時から「憩い、癒し、いい気分」の3I(スリーアイ)をスローガンに掲げ、かかりつけ医として地域に密着した日々の診療に努めています。一般内科診療や健診のほか、肝臓内科としてB型肝炎、C型肝炎、その他肝疾患の診断・治療と肝がんの早期発見を行っています。また、内視鏡内科として苦痛の少ない胃カメラ(経鼻・経口)、大腸カメラ検査と大腸ポリープ切除を行っています(副院長の大家医師が担当)。一般的なクリニックに比べて優れていると自負できるのは、検査環境が整っていることでしょう。心臓その他の臓器に対する超音波検査をはじめ、通常大きな病院や健診センターへ送るような検査も当院で行っていますし、そばに画像診断センター(CT,MRI、PETCT)があるのも強みです。私は、自分のところで検査し、治療し、最後まで面倒を見て差し上げることを信念としているのです。最初から最後まで一貫してお世話できなければ、かかりつけ医と呼べないと思っています。認知症の初診は予約制になっていますが、これは診察にとても時間がかかるからです。検査や問診のほかにご家族ともよく話し合うので、全部の患者さんが終わってから行うようにしています。
Q.高齢者介護にも力を入れていらっしゃいますね?
クリニックと併設して、介護保険施設も運営しています。一つは「通所リハビリテーションひかり」、もう一つは「居宅介護支援事業所」です。今後は「24時間在宅訪問診療」での緊急時の対応をはじめ、在宅における医療の充実や介護負担の軽減に貢献していきたいと思っています。デイケアを始めたのは2010年のリニューアルオープンの後ですが、その頃から介護の重要性を認識していた訳です。患者さんは、だんだん高齢化が進んでいきます。末期がんの治療など医療に全力を尽くしてはいますが、終末期の患者さんをどう支えていくかが大きな課題となります。それには、介護をはじめ多職種連携が欠かせません。私も昨年父親を亡くし、末期における介護の重要性を再認識しました。高齢者介護をどう充実させてくかは、今後の大きなテーマです。
Q.今後の夢や希望をお聞かせください。
クリニックとデイケアの先に、入所できる施設を持つことが将来の夢です。介護と看取りを一貫してまかなえる場所をつくるか、手に入れるつもりでいます。誰もが年老いて、いろいろな問題を抱えながら生きていく訳ですから、そうした人生の最終章の一助となる場所を提供したいのです。将来は私もそこへ入り、友人たちとお酒やカラオケ、麻雀を楽しみながら余生を過ごしたいと思っています。
川口メディカルクリニック
・川口メディカルクリニック ホームページへリンク
〒700-0913 岡山県岡山市北区大供2-2-16
電話 086-222-0820 FAX 086-222-0824