ピック病との衝撃的な出会い
認知症は、薬のさじ加減でよくすることができる。そして大病院の専門医よりも、小さなクリニックの町医者の方が認知症の患者さんを改善させられる潜在的な力を秘めていると書かれた本を読み終わった私は…パタリと本を閉じ、読まなかったことにしようと思いました。そんなうまい話があるわけがない。にわかには信じられなかったのです。
自分が一歩踏み出すことで、救うことができるかもしれない。
しかし地方病院の一般外来には、来る日も来る日も高齢患者さんが来ます。肺炎や尿路感染症で入院する高齢患者さんの中にも、認知症の方が多くいました。認知症の症状がいかにご本人や家族の生活に大きな影響を与えているか。まったく打つ手がないのであればやむをえませんが、あの本には解決方法が書かれている。自分が一歩踏み出すことで、目の前の困っている患者さんと家庭を、救うことができるかもしれない。
学びは師匠である、河野先生のブログから
目をそらすことの後ろめたさに耐えかねて、ついに認知症の勉強を始めました。この期間は、通常診療を行いながら、認知症の勉強をしました。受験勉強との違いは、成果を待っている方がすぐそこにいると実感できたことです。
師匠である河野先生のブログから学ぼうにも最初は用語から歯が立たず。自作ノートを作り、自分なりにまとめながら習得していきました。
まだまだ実践するような実力ではないはずの私でしたが、この治療を試すチャンスは、思いがけず早くにやってきました。前頭側頭型変性症(ピック病)の女性です。夫が糖尿病で私の外来に定期通院していたのです。
男性の血糖コントロールが急に悪くなったため事情を尋ねたところ「実は女房が認知症でさ。レストランで次から次へと甘いものを頼むんだ。そのくせ自分は少ししか食べなくて勿体ないから自分が食べることになって…。」
こっそりと自作していたノートには、ピック病の特徴として‘病的に甘いものを欲する’と書いていたのを思い出したのです。まだまだ修行中の身であるにも関わらず、いま私が勉強している方法を使えば、もしかするとよくなるかもしれない…と伝えたのです。
彼女のかかりつけ医が私の知っている先輩医師であったことは幸運でした。図々しくも彼女の主治医に電話で連絡をかけ、少し薬を調整させて頂けないかと尋ねたのです。
先輩医師からの意味深な一言
懐の大きな先輩医師は快くOKしてくれたものの、意味深な一言を言って笑いました。「処方を変えるのは構わないけれど、その前に診察させてもらえるかな。」
その言葉の意味は、初回診察ですぐにわかりました。夫が何とか病院まで連れてきてくれたものの、彼女は頑として診察室に入ろうとしないのです。
「お父さんの診察でしょ。私は関係ない!」と。
こちらも必死です。なんとかお顔を見て言葉をかわせば、診察をしたことになる。そう思った私は診察室を出て、待ち合いロビーの彼女の元に足を運びました。自己紹介をして、握手をするために差し出した私の手を、彼女はパチン!とはたきました。鮮烈な初対面でした。
「これが‘ピック感’なのか。」
ピシリと手をはたかれて拒まれたにも関わらず、自作ノートに写した通りであることに、喜びを感じていた私。ピック感とは、ピック病の患者さん特有の拒否的で通じ合わない攻撃的な様子をさす言葉です。理性の座である前頭葉がダメージを受けることで、嫌なものは嫌!とストレートに感情を表出するのです。
でもこれで大丈夫。どこでしても診察は診察。晴れて私はピック病に最も相性がよいと書かれたウィンタミンという処方を行いました。
自治医科大学医学部卒業後、茨城県の地域医療に従事され、平成29年にあやか内科クリニックを開院。大病院に紹介しても症状が改善しない患者さん、介護で疲れ切った家族を笑顔にしたいという思いで、公立病院勤務中にコウノメソッドを開始し、劇的に改善する患者さんを見て、この方法を全国に広げるための活動をはじめられる。「認知症にならない」予防と「認知症になっても大丈夫」な診療・環境づくりの両輪が整う社会を目指されている。