認知症いろいろ・関係性もいろいろ
認知症が深くなると人間関係性が変わってくるというか、周りも人も関係性を変えていくようになります。良くも悪くも周りの心掛け次第と思っています。子供の顔もわからなくなられる方もいらっしゃり、「あなた誰?」と聞かれた子供さん達は悲しみに心砕かれこんなはずじゃなかったと・・・「私だよ、お母さんの子供でしょ!」と強い口調で返答されご本人が困ってしまい不安になってしまうなどよく見かけます。そこからエスカレートして泥棒に仕立て上げられてしまったり・・・今回は私の義母とのいろいろをお話しします。
義母と私の関係
義母は役所に長年勤めており、ヘルパー1級の資格も持つどちらかと言うとやり手の女史と言う感じ、真面目で厳しいと思えば涙もろい優しい母でした。私は長男の嫁です。嫁姑関係は世間がよく言う感じで良かったり、悪かったりでした。よくケンカもしました。でも言いたいこと言えてよかったのかもしれませんね。
義父の入院
義父はパーキンソン病でした。肺炎、下血なども何度かあり入院もしました。何かあると義母は私に電話かけてくれましたが、何度話をしても上手く話が運ばず、義母がどうしたいのか分からなくなってきていました。結局なぜか義父の入院時の私の対応が悪かったなどと周囲の人に言っていたようでした、考えてみればこの頃から認知症の症状が現れていたのだと思います。
ある日、義父が自宅で嘔吐し吐物を詰まらせ救急搬送されました。一命をとりとめましたが、経鼻経管栄養となりました。パーキンソン病の薬を注入するためにも必要ということでした。胃ろうは腹部大動脈瘤のためできず、経鼻のまま、義母の希望もあり療養型病院に転院となりました。
食べるのが大好きな義父でした。元気にもなってこられ少しでも口からと思い、嚥下検査をしてもらいましたが難しいと言われました。でも少しずつ嚥下訓練していこうということになり、私は病院に通うことにしました。棒つき飴からはじめて、プリンまで食べられるようになってきました。そんな時「あなたより私が来た方がお父さんは喜ぶから」と言われて行くのをやめました。介護しているのは義母ですから尊重すべきです。その後はたまにお見舞いに行っていましたが丁度よい距離ができたようでした。義母は毎日病院に通い、病院の看護師や入院患者さんのご家族と良い関係をつくり心も満たされていたのだと思います。
義父の最期は側にいることができました。
甘いものが好きな職人肌の父でした。
一人暮らし
義母の一人暮らし、本当の意味での一人暮らしが始まりました。猫もいました、すでに猫も老猫にはなっていましたが義母にしかなついていませんでした。近所のサロンとデイサービスに通われるようになりましたが、足腰も少しずつ弱ってこられていました。
私の顔を見ると「私はまだホームには入りたくない、みーちゃん(猫)がいるからね。」と言われていて、徐々に「お金がない」、「通帳がない」などが始まりました。近所の内科で抗認知症薬が処方されていましたが、幸いにも(個人的に)飲んでおらず、私の知っている先生にお願いして診て頂く事になりました。
デイサービスの職員さんがよくみて下さり要介護4まで一人暮らし+時々ショートステイをしていました。
デイサービスの職員
コロナが猛威をふるった時期、デイサービスに行けない日も出てきました。義母を家に連れてきて様子をみることになりました。
以前のように会う時間もなく、電話も当然ありませんでした。久しぶりに会いました。丁度、娘もいたので暇も持て余すことはないと思っていました。「こんにんわ」の挨拶からはじまりましたが、すでにここは義母の知らない場所で義母の中では私たちはデイサービスの職員になっていました。夕方になると「いつお迎えが来るのですか?」と何度も聞いてこられました。
怒ることもなく穏やかでご飯もしっかり食べてこのままデイサービスの職員として娘と二人で対応しました。楽しければそれでいいじゃないと思いました
特別養護老人ホームに入居
朝早く一人で外に出て道路で転倒して救急車で運ばれました。骨を折るなどの大けがはありませんでした。足腰も弱くなりました。腰痛が酷くなってデイサービスの方が少し長くみれるようにとミドルステイできるところを紹介してくださいました。
それから特別養護老人ホームに入居になりました。これは主人と主人の兄弟で決めました。まだまだコロナの面会制限でなかなか会えてはいませんが、ホームから送ってくる写真はふくよかなお母さんの笑顔。「もう、息子もわかんなくなってたー!」と先日15分面会から帰ってきた主人が言っていました。
追記
先日、実家の片付けに行きました。箱ティツシュが30箱、ラップも何本だろう沢山出てきました。片付けしながら後で気が付くこともありますね。沢山の布が出てきたとき確かにいろんな小物だったりを作られていたなと思い返しました。
そうそう、みーちゃん(猫)はホームに入る前に亡くなりました。「みーちゃんが動かない」と主人に連絡してくれました。その後火葬してミーちゃんは実家に戻ってきましたが、義母はもう忘れていました。悲しみに押しつぶされなかったことには感謝しかありません。
日本認知症研究会副代表。看護学校卒業後、内科外来、透析室勤務を経て訪問看護ステーションにて3年間在宅医療に関わり、その後、介護付き有料老人ホームの看護職員として長年務められる。多くの認知症の入居者に携わるうちに、認知症について興味を持ち看護師として貢献できる認知症ケアについて学ばれる。周囲の仲間からは「大将」の愛称で親しまれ、医師主体の研究会の代表を務められた他、中国、イタリアで開催された学会でのご講演など多方面で活躍されている。