認知症はその人らしさを奪うか
今日はこの疑問を。
認知症は、「その人らしさ」がなくなる病気なのか?あなたはどう思いますか?
私は…基本的には‘NO’かなと
私は…基本的には‘NO’かなと。
‘その人らしさ’は、認知症が進んでも残っているように思う。
外来で娘さんが「色々なことができなくなっていますが、私の体を気づかうところは変わりません。」と教えてくれたり。
現役時代は銀行員だった80歳台の男性。認知症を発症し朝になるとネクタイ背広姿で出かけようとすると。
外来で私がその方に
「本当にお仕事が好きなんですね。」
と言ったら…
「好きとかそういうんじゃない。これは責任なんだ。」
と真顔で返されて。
それを聴いて、私は自分の軽さが恥ずかしくなりました。この方を動かしているのは、責任感であり使命感なんだ…と背筋がのびる気がして。そういう生きる姿勢も‘その人らしさ’ですよね。
その人の感情的な部分、コアになる姿勢・哲学は変わらないと思っています。
一方で
一方で認知症の初期症状の一つに‘その人らしさがなくなる’を挙げることがあります。
これまで明るく社交的だった方がふさぎ込んで家にこもったり。
気づかいができて穏やかだった方が怒って声を荒げるようになったり。
これってどうなの?
さっきの話と矛盾していない?!
きっと…
矛盾していないと
思うんです。
表面の行動だけを見れば‘その人らしくなくなった’と見えるし、
家族はショックを受けるけれど。
その人らしさが霧で隠されてしまい見えなくなるほど本人が混乱している、
と捉えるのが自然かなと。
極端な例ですが、
明るく前向きな人がわが子を事故で失ってひどく落ち込んだり。
いつもは穏やかな人が大切な人を傷つけられて激怒したとき。
「あなたらしくないよ。」
「変わっちゃったね。」
とは…言いませんよね。
ヴィクトールフランクルの「夜と霧」という本の中でも
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異常な状況の中では
異常な反応をするのが
正常なのだ。
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と書かれています。
何が言いたいかと言うと…
何が言いたいかと言うと…
認知症の方の‘一見異常な行動’の背景にある脳の異常事態について知っておこう。
学んで知っていればその行動を翻訳して、本当に求めていることや奥にある感情に触れることができる…かも。
この辺りは医療者より、本人と長い時間を過ごして様々な生活シーンを見ている家族や介護職の得意分野。
いろいろ教えてもらい、
一緒に成長していきたいです。
※本記事は白土綾佳先生のメルマガ配信の過去の内容を一部構成し直したものです。メルマガ(無料)のお申込みはこちらから
自治医科大学医学部卒業後、茨城県の地域医療に従事され、平成29年にあやか内科クリニックを開院。大病院に紹介しても症状が改善しない患者さん、介護で疲れ切った家族を笑顔にしたいという思いで、公立病院勤務中にコウノメソッドを開始し、劇的に改善する患者さんを見て、この方法を全国に広げるための活動をはじめられる。「認知症にならない」予防と「認知症になっても大丈夫」な診療・環境づくりの両輪が整う社会を目指されている。