帯津三敬病院
増田俊和院長インタビュー
埼玉県川口市で生まれ育った増田先生は、早稲田中学・高校を経て埼玉医科大学医学部へ進学した。1979年、学部を卒業して同大学脳神経外科へ入局し、研修医時代を過ごす。1985年、シカゴ大学脳神経外科へ留学。帰国して日本脳神経外科学会専門医となり、医学博士号を取得した。その後、医局人事で系列の武蔵野総合病院へ移り、脳神経外科部長を務める。1992年、母校の医局を離れて埼玉県鴻巣市にあるヘリオス会病院の副院長に就任。2008年に現在の帯津三敬病院の院長となり、2016年から理事長も兼務している。
専門領域は脳血管障害、脳腫瘍、認知症など脳神経疾患全般。がん、認知症などの緩和医療も行う。古希を迎えた温和な増田先生に、高齢者医療のあり方を聞いた。(取材日2023年12月15日)
認知症チームを中心とした地域医療を確立したい
Q.医師を志した動機をお聞かせください。
私の家は埼玉県川口市で鋳物工場を経営していました。当時、キューポラと呼ばれる溶鉄炉が林立していた鋳物の町です。町の中で火をガンガン焚いて、だるまストーブなどを造る仕事で、職人さんが何人も働いていました。私は3人きょうだいの長男でしたから、後継ぎなのですが、工場を継ぎたくありませんでした。実は、アナウンサーになりたかったのです。早稲田高校1年のとき東京のアナウンス大会で3位に、早稲田高校3年生のときは東京のアナウンス大会で1位になりましたから、本気でそう思っていました。しかし、進路を決める段階になると、父親に反対されてしまいました。「工場を継ぎたくないのはわかった、しかしアナウンサーはダメだ。だったら、医者の方がいいんじゃないか」とそそのかされて、医学部を受験したのです。埼玉医科大学医学部へ入学し、キャンパスが入間郡毛呂山町にあったので、実家からは通えず下宿生活を送りました。
Q.脳神経外科を選ばれたのはなぜですか?
神経系をやりたかったのです。そうすると、脳神経外科か神経内科、脊髄を扱う整形外科あたりが選択肢になります。その中で、脳神経外科を選びました。当時は、心臓外科と脳神経外科が医学の最先端をいくイメージでした。しかし、40数年前ですから、脳外はそれほど医者が多くありません。
研修医になると、過酷です。今の働き方改革からするとブラックな生活を送りました。当直なんて、月に20回もやっていたのです。下宿に帰れる日は、1週間に1回くらいしかありません。いつも病院に泊まっていた記憶があります。研修が明けたら、シカゴ大学に派遣されて1年数ヵ月間留学しました。リサーチフェローだったので研究中心です。そこでは脳出血の病理、出血がどう吸収されるかのメカニズムを研究していました。帰国して埼玉医科大学へ戻り、医学博士号を取得して、川越にある武蔵野総合病院の脳神経外科部長になりました。部長というと聞こえはいいですが、私一人しかいません。母校の系列病院に、脳神経外科を創設するために行ったのです。自分でできる手術は自分でやって、できない患者さんは埼玉医科大学へ送っていました。
Q.脳神経外科は認知症に強いのではありませんか?
当時、脳神経外科が扱う疾患は、70~80%が救急でした。交通事故や脳卒中(脳内出血、クモ膜下出血、脳梗塞など)で運び込まれてくる患者さんの手術が中心になります。ところが、手術をした後は、意識障害との闘いが始まるのです。意識障害を診る診療科は、ほかにありません。意識障害に伴って起こる「せん妄」も、脳神経外科が術後対応しています。あと、私たち脳神経外科医が診る病気の一つに、正常圧水頭症があります。これはほぼ認知症を発症する疾患で、歩行障害、失禁と並ぶ三大症状の一つが認知機能低下なのです。そのほか、慢性硬膜下血腫でも認知機能低下は起こりますし、脳梗塞となると昔は痴呆の最大の原因とされていました。
認知症という独立した疾患はなく、認知症専門医もいない、神経内科でも精神科でもごく一部の医者しか認知症を診ていなかった時代から、脳神経外科医は認知機能低下と向き合っていたのです。あまり診たがらない脳外科医もいましたが、私は違和感なく、認知機能低下を起こした患者さんと向き合ってきました。
20年前から感じていた抗認知症薬の問題点
Q.意識して認知症を診るようになったのはいつからですか?
私は、1992年に埼玉医科大学を離れ、埼玉県鴻巣市にあるヘリオス会病院の副院長になりました。この病院を設立したかつての同級生から、設立後数年目に「来てくれないか」と誘われたのです。埼玉県の中央部は大きな病院が少なく、救命救急医療が弱い地域でした(今でもそういう傾向がありますが)。手術を行える脳神経外科はヘリオス会病院くらいでしたから、約16年間多忙な時期を過ごしました。その頃からですね、意識して認知症を診始めたのは。今から二十数年前のことです。地域医療を行う病院にいると、どうしても高齢者を診る機会が増えます。そうなると、正常圧水頭症や脳梗塞など脳神経外科がらみの認知機能低下だけでなく、認知症そのものも診なければなりません。アルツハイマーやレビーなど、脳の器質的変化と向き合わなければならないのです。私はそこまで深く勉強していなかったので、また勉強をし直すことになりました。
認知症の治療に開眼したきっかけは、河野和彦先生を知ったからです。インターネットで河野先生のブログを見つけ、「認知症大講義」を見て勉強しました。
Q.認知症の薬物療法についてのお考えをお聞かせください。
1999年に初めて抗認知症薬アリセプトが出て、私もそうですが多くの医師が使いました。その副作用をどうすればいいかということが、当時一番の悩みでした。ところが河野先生と出会ってそのやり方を踏襲していくと、どんどん患者さんが良くなっていくのです。効能書き通りに処方していたら、興奮が強くなり、易怒性など周辺症状が出てきて、体が動かなくなる。結局、副作用で認知症が悪くなっていくのです。メマリーもそうですが、アリセプトでは、減薬するだけで良くなる経験を随分しました。そうすると、患者さんや家族は喜びます。
「先生は名医だ」とよく言われましたが、それはよその病院やクリニックで過剰投与されていた患者さんの抗認知症薬を減らしただけなのです。認知症が治るわけではありませんが、症状が良くなるので、コウノメソッドにはずいぶん助けられました。今でも、薬の使い方は適量を心掛けています。つまり、その人に合った量を慎重に探していくということで、効能書きに縛られないようにしています。
Q.サプリメントは何を使っていらっしゃいますか?
フェルガードを取り入れています。河野先生が使っていたので、ヘリオス会病院の頃から使い始めました。使いやすいし価格も手ごろな「フェルガード100M」が多いですね。サプリメントだから、急に状態が良くなるということはありませんが、「維持できている」と家族が異口同音におっしゃいます。認知症は進行性の病気ですし、そうでなくても患者さんはどんどん年をとって認知機能が衰えていくので、維持できているということはそれだけでも価値があることです。私もフェルガードを勧めるときは、「現状維持を目的に飲んでください」と言っています。自費なので、十分納得してもらわなければなりません。今、私がいる帯津三敬病院では売っていないので、ご自分で購入していただきます。フェルガードのほかに、使っているサプリメントはありません。
大規模商業エリア内に高齢者住宅をつくれないものか
Q.地域医療についてどのような考えをお持ちですか?
とても重大で深刻な問題だと思います。というのも、埼玉県は介護ニーズの高い85歳以上の高齢者人口が、日本一の速さで増加することが見込まれている県だからです。私も立場上、川越市の認知症政策チームの一員に加わっていますが、データに基づいたプランづくりに関わっていると、うちの病院だけでなく地域の認知症高齢者をどうしたらいいかという考えに向かわざるを得ません。
地域には、医療とつながっていない認知症高齢者がたくさんいます。病院にかかっている人は、ごく一部に過ぎないのです。ある高齢者はゴミ屋敷に住み、ある高齢者は近所に迷惑をかけ、ある高齢者はお隣さんに心配されています。ナースやケアマネの啓発だけでなく、これからは地域住民の啓発が必要です。認知症に関わっている人、関わる可能性がある人は、少なくありません。民生委員、自治会長、交通安全指導員、福祉車両を運転している人など、多くの人に認知症を学んでもらい、認知症の人を支えるためにどう動いたらいいかを考え、行動する力を身につけてもらう必要があります。専門家だけでなく、住民レベルでの職域を超えた連携を生み出さなければなりません。「認知症を中心とした地域医療」こそ、私たちが目指すべき方向性です。
Q.これからの超高齢時代はどうあるべきだとお考えですか?
国を挙げて地域包括ケアシステムの構築に向かっているわけですが、これは中学校区程度、半径3~4㎞の範囲で完結させなければなりません。「住み慣れたところで最期まで」は、そうしないと実現できないのです。それを実現するために、私は一つのプランを持っています。うちの病院の近くに大きなショッピングモールがあり、レストラン、映画館、ジム、ボウリング場などあらゆるものが揃っているのです。そのエリア内、廊下で繋がっていて雨に濡れずに行ける場所に、高齢者の居住地をつくれないものかと考えています。形式は特養でも有料老人ホームでも構いません。車イスで出かけて、500円で映画を観て、運動をして、買い物をして、好きなものを食べて帰ることができれば、高齢者は社会性が保てますし、刺激にもなります。私は実際に近くのショッピングモールに出かけて行って、社長に相談したのです。すると、「法律的に、商業施設内に居住地をつくることはできません。隣につくればどうですか」と言われました。エリア内に作らなければ、意味がありません。それをつくるには、特区にする必要があるようです。
Q.今後の目標や夢をお聞かせください。
これまでに話した「認知症を中心とした地域医療」の構築と、巨大ショッピングモールのエリア内に高齢者の居住区をつくる特区を成立させることが私の夢です。今年で70歳になるので、自分でしたいことというのは特にありません。ゴルフが好きで月2回くらいは行きますが、これからも続けて健康を保ちたいと考えているぐらいです。医師としては、高齢になったので手術はしていません。病院経営と診察が中心です。医師の仕事は、体が続く限りやり続けたいと思っています。
医療法人順心会帯津三敬病院
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