たかはし内科
高橋安毅院長インタビュー

投稿日:2024.08.06

徳島市出身の高橋安毅(たかはし・やすたけ)先生は、1985年に徳島大学医学部を卒業し、徳島大学第三内科に入局した。その後、医局人事で高知県中村市立市民病院(現・四万十市立病院)、近畿中央病院、徳島大学医学部助手、高知農協総合病院(現・JA高知病院)などに勤務。1997年、徳島市国府町観音寺に「たかはし内科」を設立した。妻の高橋浩子医師と二人三脚の開業だった。2013年から、浩子医師は隣接地に「ひろこ漢方内科クリニック」を開業した。もともと呼吸器が専門だった高橋院長が、今はあえて専門をつくらない「かかりつけ医」だと語るのはなぜなのか。その根底にある認知症の問題について伺った。(取材日2024年7月21日)

もくじ
地域の「かかりつけ医」として包括的な診療を担う
コウノメソッドに出会って認知症医療に目覚める
「かかりつけ医」は認知症を避けて通るべきではない

地域の「かかりつけ医」として包括的な診療を担う

Q.医師になられた経緯をお聞かせください。

私は共通一次試験の一期生です。その共通一次試験を終えてからも、私は志望の学部を決めていませんでした。そんな時、東大に行った先輩の話を聞く機会があり、「医学部は、人間が相手だ。理科系に属するが、非常に文科系っぽい学部だよ」という話を聞いたのです。私は理科系のクラスにいたのですが、機械類が苦手でした。文科系の学部を受験しようかなと思っていたときだったので、急遽医学部を目指すことにしました。決めるのが遅かったので、県外の大学を受けるための準備の時間的余裕が無く、地元の徳島大学医学部を受験したのです。

そういうわけで、小さな頃から医者を目指していたわけではありません。誰に対しても遠慮せずに物を言う子どもで、高校生のとき担任から「きみは公務員や会社員にはならないほうがいいよ」と言われたことがあります。それも医師になった理由の一つかもしれません。

Q.勤務医時代はどのように過ごされましたか?

卒業して徳島大学の第三内科へ入局しました。現在は呼吸器膠原病内科と名前が変わっています。入局すると、当時は呼吸器専門病院と一般内科の病院とを交互に勤務するのが一般的でした。私も高知県、大阪府、徳島県、また高知県と、さまざまな病院を回りました。当時は喘息や肺がんなどを治療するバリバリの専門医でした。息抜きには、学生時代からやっていたバレーボールをしたり、好きな音楽を聴いていました。医療に対して考え方が大きく変わったのは、医局人事を離れて開業したからです。

Q.どのようなきっかけで開業なさいましたか?

高知農協総合病院へ赴任する直前に、今の妻と結婚しました。妻は同門(徳島大学第三内科)の医者で、3年年下です。私は医局人事で高知へ行きましたが、妻は知り合いのつてで働き先を見つけて高知へ付いて来ました。1年半ほど経った頃、徳島県の今の場所に医院の空きができたので買わないかという話があり、開業医になれば夫婦で一緒に働けるからという理由で開業を決意しました。

1997年9月に開業しました。妻は2人目の子供ができた直後だったので、午前と午後で交替で診察したり曜日ごとに交替したりして、夫婦で「たかはし内科」を始めました。日曜日の午前も含めて週に55時間診察していました。2013年に隣に「ひろこ漢方内科クリニック」を立ち上げたのは、妻が漢方を勉強して、当院で半分やるだけでは妻の患者がさばききれず、そのため漢方に特化したクリニックを作るべきだと考えたからです。

コウノメソッドに出会って認知症医療に目覚める

Q.認知症と向き合うようになられたのはいつ頃からですか?

開業後ですが、最初は認知症を診るのが好きではありませんでした。なぜかというと、診断方法も治療方法も方法、効果ともに不明なことが多かったからです。この辺りは市街化が進んでいますが、もともと農村地帯で、高齢者の割合が非常に多い地域です。患者さんが年をとって認知症になったと感じることも多いですが、何も手を打てないうちにどこかへ入院し、やがて介護施設へ入所して亡くなってしまわれていました。そうやって、高齢の患者さんがどんどん通り過ぎていくのがたまらなく嫌でした。

「開業して<地域のかかりつけ医>になったのだから、認知症になっても最期まで診させていただきたい」という思いはあっても、手立てがありませんでした。そんなある日、妻が「コウノメソッドというのがあって、面白そうだよ」と教えてくれたのです。初めて見たのは、河野和彦先生の講演会のDVDだったと思います。「画像診断には必ずしもこだわらなくていい、診断はすぐにつけなくてもいい、元気すぎる人には大人しくなる薬を、大人し過ぎる人には元気になる薬を出せばいい」という風に、明日からでもすぐにできる方法でした。そこからコウノメソッドの勉強を始め、コウノメソッド実践医にしていただきました。

Q.薬の使い方にはどのような変化が生まれましたか?

抗認知症薬は使いますが、対象と容量は慎重に考えます。前頭側頭型認知症には使わず、アルツハイマー型認知症には少量から使います。ドネペジルなら最初は3㎎の半分から初めて、多い人でも5㎎まで。河野先生が「効果は釣り鐘状」とおっしゃっているので、効いたと思ったら止めるようにしています。前頭側頭型には、ウインタミンをよく使います。それも6㎎とか8㎎とか、ごく少量です。そのままでは微量過ぎて飲めませんから、調剤薬局で乳糖などの賦形剤を混ぜて飲みやすくしてもらいます。

私がコウノメソッド実践医であることを知って、遠方から受診する患者さんもいらっしゃるのですが、良くなる人の中にはウインタミンを使っている人が多いようです。アルツハイマー型の患者さんは誰が治療してもそんなに変わりませんが、前頭側頭型の患者さんはかなり良くなります。それは、アリセプトなどのコリンエステラーゼ阻害剤を処方されて興奮したり、逆にリスパダールなどの抗精神病薬を処方されてボーッとしたりして調子が悪くなっている方も多く、不適な投薬を止めるだけで良くなることも多いからです。

Q. サプリメントはどのように使っていらっしゃいますか?

フェルガードとMガードを使っています。入り口は、いちばん万能なフェルガード100Mですね。Mガードはフェルガードに足すようにして使います。患者さんやご家族には、「脳を電気に例えると、電気には電球と電線があるでしょう。フェルガードは電球を守るもの、Mガードは電線がボロボロになるのを防ぐものです」と説明します。そうすると、良く理解してもらえます。サプリメントは、今のところその2種類です。あまり種類を多く置かないのも、最初から薦めないのも、経済的な問題を考えてのことです。認知症初期の、まだ物忘れがそれほど進んでいない人に薦めることがありますし、一般的な保険薬を使っていて「先生、ほかに何かいい方法はないですか」と聞かれた場合に薦めるようにしています。しかし、有効な治療薬がなかなか出て来ない現状、サプリメントも少しずつ増やしたいと考えています。

「かかりつけ医」は認知症を避けて通るべきではない

Q. このクリニックの特徴を教えてください。

昔の私は呼吸器の専門医だったのですが、現在では専門医と逆の在り方をしています。専門医は、そんなにたくさん必要でしょうか?世の中の8割くらいが一般のかかりつけ医で、本当の専門医は2割くらいでいいんじゃないかと私は思います。私は、ここでかかりつけ医をやっている以上、「これは私の専門分野ではないから」と言わないようにしています。どうしてもダメなら専門医に紹介しますが、少なくとも内科の中ではできる範囲を限定せず、患者さんのニーズに応えようとしています。内科以外でも、軽い外傷や軽い皮膚病など、自分で診られるものはできるだけ診ようというスタンスです。

標榜している診療科は、内科(呼吸器・循環器・消化器・神経・漢方)、小児科、リハビリテーション科ですが、高齢者の疾患に関心があるので、最近骨粗鬆症の学会に入り、糖尿病の糖質制限登録医にもなりました。検査は、胃カメラ、超音波検査、24時間の心電図、骨粗鬆症の検査などです。これらのうちの一つが認知症の診療であって、自分は認知症の専門医になろうとは思っていません。

Q.認知症の患者さんをどう支えていきたいと思われますか?

一番の目的は、認知症の人が家族と仲良く住み慣れた家に住んで、ずっと当院に通院してくれることです。それには、BPSD(認知症に伴う行動・心理症状)を抑えてあげなければなりません。家族の人が「ボケてるけど家でみられる」状態にしてあげないと、「こんなんようみんわ」とサジを投げられると在宅介護が破綻して、詰まるところ当院にもにも来てくれなくなります。ただ、一人暮らしの認知症は難しいものがあります。お子さんが週1回様子を見に来る程度ではなかなか大変です。老老介護も体力的困難が伴います。やはり、3世代、4世代同居でなければ、認知症の在宅介護は難しいところがあります。数世代の家族が協力して看ることが必要になってきます。

私は、訪問診療もしています。これまで通院していた患者さんが足を悪くして通院できなくなった場合などはお住いの家へ診療に行きますし、施設の嘱託医も受けています。しかし、月日の流れに伴って、患者さんの数は減っていきます。高齢の患者さんを対象とする医療は、どこかで終わりが来るからです。認知症でなくても、それは同じです。ただ、一つだけ言えることがあります。。私はコウノメソッドをやり始めてから、少なくとも認知症の患者さんを診るのが苦痛ではなくなりました。それが、コウノメソッドをやって一番良かったことです。

Q.将来、このクリニックはどうなればいいと思っていらっしゃいますか?

もう60代半ばですから、そう大きな夢はありません。ただ、あと10年くらいは町医者としてバリバリと働き続けたいと思っています。できるだけ今の患者さんを大事にして、自分より年上の患者さんを看取りながら、自分たちの子供世代の患者さんは私の次世代に引き継いでいきたいですね。3人の子どものうち、長男が医者になっています。今は勤務医をしていますが、いつかは跡を継いでくれたら良いなと思います。それまでは、かかりつけ医としての本分を全うしていくつもりです。

たかはし内科

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